1 月 1 1 日
「子たちよ、神の国に入るのは何と難しいことでしょう。富める人が神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがやさしいです」。 ...「それではだれが救われましょうか」。「人には出来ませんが、神にはすべてが可能です」。

マルコ 10:24-27

神の力

 世間普通の意味でいちおう真面目な人物と、自他とも認めるような人でも、神の国の道徳の標準に照らされる時、自分の中に無意識にいだいていた、捨て難い意外な精神的あるいは物質的執着(しゅうちゃく)を発見します。そして永遠の生命を受けるために、財産であろうと道徳であろうと家庭の快楽であろうと本能的なる欲望であろうと、自己の執着を切り捨てなさいと要求されましても、それは人の力には余ることです。人の力では容易に決心できず、たとえ決心しても実行できません。

 しかし神の国に入るための道徳が神の標準において示されるように、神の国に入るための実行力も神の側において備えられております。神様は、神の標準において道徳を提示しながら、人の力によってこれを実行することを要求するような無理をいいません。人の無力をよくご存じなのです。だから神の国を求める人が、神の国の高い道徳標準を示された時にとるべき当然の態度は、ヘルモン山のふもとでサタンにつかれた子供の親のように、「私は信じます、信仰のない私を助けてください」。(マルコ 9:24)と即時に叫ぶことにあります。



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