1 月 2 0 日
私の友よ、私をあわれみなさい、私をあわれみなさい、神の手が私を打ったからです。あなたたちは何ゆえ神のように私を責め、私が肉にすぎない者である事に満足しないのですか。どうか私の言葉が書き記されますように。どうか私の言葉が鉄と鉛の筆とをもって永く岩に刻みつけられますように。私は知ります、私をあがなう人は生きています。後の日に彼は必ず地の上に立ちます。

ヨブ 19:21-25

心の誠実

 イエスを救い主と信じるについて最も必要な根本的条件は、私たちの心の誠実です。心の最も深い所における真理に対する感受性です。イエスは私たちの純なる心を要求されます。そしてイエスに対する心の誠実さえ失わなければ、私たち人間の「すべての罪と、けがすけがしとは赦される」のです。ヨブは神様に向かってずいぶん暴言を吐きましたけれども心の底では神を疑わず、神に誠実でありました。だから彼はすべての罪とけがしとを赦されたばかりでなく、大きな真理の啓示を受け、神との深き交わりに入られたのです。

 誠実な心でなくては悔い改めることができません。悔い改めがなければイエスを聖霊の人・神の子と認めることができません。かえっていっさいの価値判断が転倒して、善を悪と呼び、不正を正義と呼び、聖霊の働きをサタンの力と呼ぶのであります。これに反し、悔い改めて心を神の方に向け換えれば、イエスを救い主と仰ぐことができ、そしてすべての罪は赦されます。イエスの味方となる人はだれですか。それは心の深い所から救いを望む人です。



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