2 月 2 1 日
パリサイ人、律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩く事を好み、街中で敬礼されることを愛し、教会の上席を占め、宴会(えんかい)の上座を好みます。そしてやもめの家をくいものにし、人に見られるため長い祈りをします。彼らは厳しい審判を受けなければなりません。

マルコ 12:38-40

宗教家の偽善

 純粋な真理と、真理に似て非なるものとの間には、特に鋭利な峻別(しゅんべつ)を立てなければなりません。表面的には、パリサイ人もイエスと同じく宗教改革者であり、道徳を守る者でありますが、彼らは人間主義であり、神より出たイエスの思想とは根本的に立場が異なるのです。思想的立場の差異は、現実の生活態度上に差異となって現れます。イエスに私はありませんが、パリサイ人の学者には私があります。イエスは自分を捨てて人に仕えますが、パリサイ人の学者は自分を立てて人を支配します。イエスは貧しいですが、パリサイ人は富みます。イエスは弟子にも十字架の道を歩ませますが、パリサイ人の学者は弟子のために栄達をはかります。木はその果によって知られ、思想の真偽はその人の生活によって知られます。真理の純粋性を重んじられるイエスが、パリサイ人の偽善をはげしく詰責したのは、当然のことです。



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