キリストが私を使わされたのは、バプテスマを授けるためでなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いないで宣べ伝えるためです。それはキリストの十字架が無効になってしまわないためです。伝道の目的
伝道の目的は教勢拡張にあるのではありません。信者の人数を増し、献金の量を多くしようという努力にあるのではありません。伝道が事業化されて、その成績を数で評価するようになったところに、キリスト教の大堕落(だらく)があるのです。
伝道の目的は、人々にイエス・キリストの福音を知らせることにあります。これを聞いて信じた人は永遠の生命の喜びに入り、聞いて信じない人はすでにさばかれているのです(ヨハネ 3:18)。聞いて信じるか、信じないかはその人の責任であり、伝道者の責任ではありません。聞いて信じない人が多くても、それを伝道者の失敗ということはできません。
一人の人が聞いて信じたとき、天の全てが喜びの声を上げて神の御名をほめたたえます。春の野にスミレの花をつむように、神は信じる人を一人一人、神の花カゴに収められます。神の国は、神のつみ草のようなものです。カゴが満ちた時に、神の国は現れます。神の国が成るのは、神ご自身のみ業です。伝道者がそこに人数を送り込むのではありません。伝道者は神から使わされて、神の国の福音を人々に知らせる役目を与えられているに過ぎません。その役目を忠実に、その福音を純粋に、神と人とを愛する動機に動かされて果たすことが、伝道者の使命です。