4 月 1 4 日
主を畏(おそ)れることによって強き確信が生まれ、人は避け所を得ます。主を畏れることは生命の泉で、人を死のふちから守ります。

しん言 14:26-27

畏れること

 神を畏れるというのは、神を恐怖して敬遠(けいえん)することではありません。神を敬遠すれば、どうしても仲介者の必要が生じてきます。祭司、僧侶のたぐいは、神に対する人間の敬遠的精神から生じた制度です。

 神を畏れるというのは、神をバカにしないことです。心につつしみを以て、神の前にいることです。見なさい、神を敬遠して神棚の上に置いた人は、最も神をバカにしているのです。神を畏れる人は、常に神との間に直接の人格的関係を有たなければなりません。直接に神の前にいる事から、「畏れ」は生じるのです。 ・・・ 

 畏れからは善が生れますが、恐怖からは善は生まれません。それは前者は直接の人格的関係を含みますが、後者は非人格的な敬遠の態度だからです。前者は求心力的運動であり、後者は遠心力的運動です。私たちは畏れを以て神に近づかなければなりません。恐怖を以て神から遠ざかってはいけません。



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