4 月 2 3 日
『主よ、彼らはあなたの預言者を殺し、あなたの聖殿を荒らし、ただ一人残った私の命さえ狙っています』、とのエリヤの嘆きに対する主の答えは何でしたか。『バアルにひざを屈(かが)めない七千人を私のために残しています』。それと同じように今の時にも恩恵によって選び残された人がいます。

ローマ 11: 3-5

真理継承(けいしょう)の法則

 エホバはエホバのために、彼のまじりない律法と、彼を信じる純粋な信仰の流れを中絶させることのないよう、次から次へと教えの継承者を起こします。ある時は地下水のように、ある時は噴水のように、ある時は小さな器に、ある時は大きな器に、それはすべて神の知恵と経綸(けいりん)であって、人の思いを越える事柄です。私たちはただ神が、このように正しい信仰を受けつがせるためモーセの死後ヨシュアを、ヨシュアの死後オテニエルを起こした恩恵を感謝します。 ヨシュアは言いました、「あなたたちすべてがエホバを離れ去っても、私と私の家とは共にエホバに仕えます」(ヨシュア 24:15)。イザヤもまた言いました、「見なさい、私と私に与えられた子たちとは、イスラエル対する主の印であり、証です」(イザヤ 8:18)。これが真理継承の法則であるように思われます。真の信仰は集団的には継承されず、個人的に受けつがれます。集団的継承は形式化し、化石化します。これに反し神に選ばれて福音の証者として召し出され、迫害に耐え、困難の中に信仰を以て生きまた死ぬ悲哀の人によってのみ、生きた信仰の清流は後の代に伝わって行くのです。



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