神はそのひとり子を与えたほどに、この世を愛しました。それは子を信じる人が一人も亡びないで永遠の生命を得るためです。神の愛(ヨハネ 3:16)
たとえ私に花園はなくても、周囲の心は砂漠であっても、なお神の愛は私たちに満ち足ります。イエス・キリストによって私たちに現れた神の愛は、このような性質の愛です。すなわちキリストの十字架によって神が私の罪を赦し、私に復活の希望を与え、新生の恩恵を与えられた愛は私の境遇(きょうぐう)によって左右されない絶対不変の愛であり、その愛を私たちに告げ知らせるものは聖書の言葉です。私たちはイエスの愛にいることを以て必要かつ十分であり、人から愛されない事を不平不足に思うべきではありません。かえってイエスから愛される愛を以て、砂漠にも花咲かせ、愛のない人をも愛し得るのです。もちろん私たちは弱い人間ですから、常に愛の助けを必要とします。そして神は多くの場合、自然の美を通し、また人の心の愛を通して、私たちの分に過ぎる助けを私たちに与えられるのです。しかしながら無くてならないなぐさめはただ一つ、すなわちイエスの愛です。イエスは私たちを愛される時、しもべより友へ、友より兄弟姉妹へと、ぐんぐん私たちの地位を引き上げました。私たちもまたイエスの愛にいるだけで満ち足るよう、私たちの霊的生活を引き上げなければなりません。