彼らは信仰によって国々を従え、義を行い、約束のものを受け、ライオンの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃を逃れ、また弱い人は強くされ、戦いの勇士となり、異国の軍を退かせました。女性たちは死の復活を受け、ある人はさらにすぐれた生命によみがえるためごう問に甘んじ釈放を請いませんでした。イエスの勇士
キリスト教会の歴史は、有名無名の勇士たちの信仰による武勇伝(ぶゆうでん)に満ちています。そのある人は、ダビデの三人衆の一人、ハラリ人アゲの子シャンマが、ペリシテ人の大軍の前にイスラエルの兵が皆逃げていく間にあって、唯一人畑に立って敵を防いだように、一人よく、とうとうたる世の風潮に抗して神の真理を守りました。そのある人はダビデの三勇士がペリシテ人の堅陣(けんじん)を突破してベテヘムの門にある井の水を汲んだように、イエスのためには死をも辞せず、唯物無神論者の陣をつき破って生命の真清水をくみ取り、これをイエスの御前にささげました(第二サムエル 23: 8-22)。 ・・・
すべて神の国のために、信仰の純潔を守る人はイエスの勇士です。無学の農夫も、病床の少女も、すべてイエスに属する兵士の自覚を以てその信仰を堅持するところ、いたるところに信仰の武勇伝があります。その戦いを通じて、イエスと私たちとの心の結びつきはますます強化されます。私たち各自は、イエスの勇士名簿に、「どこどこのだれだれの子なになに」と名を連ねることの栄光を深く思わなければなりません。