エリヤは彼らに答えて言いました、「もし私が神の人であるなら、天から火が下り、あなたと部下の五十人を焼きつくすでしょう」。すると神の火が天から下って彼と部下の五十人を焼きつくしました。正しい怒り
イエス自身、「私は火を地に投げ入れるために来ました。この火がすでに燃えている時に、私はまた何を望みましょうか」(ルカ 12:49)と語られたことがあります。これは父と子と、母と娘と、姑と嫁とを離別させることを言われたのであり、エリヤの故事を連想しながら語られたに違いありません。神の国は親子夫婦の肉親的結びつきによって成るのではありません。私たちはイエスの言葉によって鋭く別けられ、世につくか神につくか、私たちの霊的所属を明確に別けなければなりません。イエスの言葉にこの厳しさ、鋭さがあるのです。
すべて正しく怒る人のみが正しく赦すことが出来ます。神の御名によって激怒する人のみが、神の御名によって愛する人と成れるのです。神のために怒ることも出来ず愛することも出来ず、イエスの言葉の引用だけで人をさばく、パリサイ主義はわざわいです。