5 月 2 4 日
心の清い人たちはさいわいです。 その人は神を見るでしょう。 平和を作る人たちはさいわいです。 その人は神の子と呼ばれるでしょう。 義のため迫害されている人たちはさいわいです。 天国はその人のものです。

マタイ 5: 8-10

さいわいな人

「心の清い人」とは、道徳的に完全な人という意味ではなく、心の純な人のことです。そして純粋な心とは、悲しみの心です。悲しみには深い湖水のような静けさがあり、神の御姿(みすがた)を明らかにうつします。これに反し、悲しみのない人生はほこりっぽいです。それには神を見得る透明さが無いのです。

「平和を作る人」とは、人々の間に平和を作る人です。どのような性格の人が平和を作るかといえば、それは柔和な人です。殴(なぐ)られて殴り返さない人です。自分の権利・利益・名誉・体面を主張し、これを害されたと怒る人は平和を作りません。自己の権利を放棄(ほうき)する人にして、始めて平和を作るのです。 ・・・ 

「義のため迫害されている人」とは、神の義を守り、これを主張し、そのために戦うことによって迫害を被る人です。義に飢えかわく人にして、始めて義のために責められる人となります。そうでない人は妥協(だきょう)迎合(げいごう)して、要領(ようりょう)よく迫害を回避(かいひ)するでしょう。義のために責められるほど神の国を慕い求める人に、神の国が属することは事理の当然です。



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