5 月 2 7 日
私を信じる小さい人の一人をつまずかせる人は、大きなおもしを首にかけられて海に投げ込まれたほうがはるかに益です。

マルコ 9:42

うたがい

 たびたび講演し、多く原稿を書いても、これが果たして神の国のためにどれだけ役に立っているでしょうか。

 私の愛が足らず、私の指導が誤って、私を師と思う一人の小さい人を不幸におとしいれたのではないでしょうか。

 多忙を口実として愛の実践をおこたり、私の助けを求める人の声を聞き過ごしたのではないでしょうか。

 このような疑いがおそって来る時、私の首は大きいおもしをかけられたように重くなり、私の心には苦い胆汁(たんじゅう)がわきあふれ、冷たい涙がほほに流れます。

 私は何もなくなって、ただ一人荒涼(こうりょう)としたゴルゴダの丘に行き、ただ十字架の柱に身を寄せます。父よ、イエスの十字架のゆえに、この無益のしもべ、この悪しき者、この愛なき者を赦して、あなたのふところに受け入れてください。



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