6 月 4 日
私はよみがえりであり、生命です。私を信じる人は、死んでも生きるでしょう。私を信じ生きる人はだれでも決して死なないでしょう。あなたはこれを信じますか。

ヨハネ 11:25-26

無教会の生命

 今や無教会主義は日本のキリスト教界において押しも押されもしない現実の勢力です。しかしながら無教会主義の危機もすでに芽を出しています。その形式的な固定、その分派的なごうまんの危険がそれです。私たちは無教会主義の生命を、あくまで自由に、柔軟に、かつ謙そんに保たなければなりません。その事はすべて、私たちは無教会によって義とされるのではなく、イエス・キリストの血によってのみ義とされる、との信仰によります。

 無教会主義を以て十字架信仰の固定物と考える時、無教会主義の生命喪失(そうしつ)が始まります。「主義」は信仰の通過証にはなりません。生命はあくまでも、悔い改めた砕けた心を以てキリストの十字架を仰ぐところの、生きた信仰そのものにあります。そのことを最も純粋に信じる生活態度こそ、無教会主義であるのです。



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