6 月 1 9 日
だれでも私について来たいと思う人は、自分を捨て自分の十字架を負って、私に従いなさい。

マルコ 8:34

十字架の道

 私たちは主に忠なるしもべとして、自分の十字架を負います。なぜなら主御自身が十字架の道を歩まれたからです。

 私たちは福音の証者として、自分の十字架を負います。なぜなら世の悪に対して「ノー」を言明しなければならないからです。

 私たちはエクレシアを愛する者として、自分の十字架を負います。なぜなら兄弟姉妹のために生命を棄てる事に勝る愛はないからです。

 私たちは天国の栄光に迎え入れられるために、自分の十字架を負います。なぜなら主のため自分の生命を失う人はこれを救うからです。

 私たちは自ら意気込んで自分の十字架を負い得るものではありません。ただ主の道を忠実に歩み、主の言葉を心より尊び敬い、神と国とを真実に愛する人は、世に対して「はい」と「いいえ」を言明しなければならない時があります。その時世は私たちに十字架を負わせます。しかしこの道を回避しては福音を国に植えることは難いのです。



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