悪しき日にあって、よく抵抗し堅く立って完全に勝利を得るため神の武具を身につけなさい。腰に真理の帯をしめ、胸に正義のよろいを当て、足に平和の福音をはき、サタンの火の矢を防ぐ信仰の盾(たて)を取って戦いなさい。また救いのかぶとをかぶり、霊の剣すなわち神の言葉を取りなさい。信仰の戦い
パウロがエペソ書を書いたのは、ローマ帝国の威武(いぶ)があがり、ローマの軍隊が精鋭を以て鳴った時代でした。彼がここにローマ軍隊の武装を引用して、信仰の戦いの備えを勧めている文章は極めて美しいです。ただしその美は、単に引例の適切にあるのみでなく、ローマの軍隊とキリストの兵卒との間における戦闘目的の著しい対照(コントラスト)からも来ています。ローマは帝国征服の野心のために戦い、私たちは霊的エクレシアの完成のために戦います。戦いなくしては善きものは得られません。サタンに抵抗する勇気のない軟弱臆病(なんじゃくおくびょう)な人、あるいは自分一人の救いに満足して、キリストの体であるエクレシアを守るために出征する愛国心を欠く人は、その精神においてこの世の国の兵卒にも劣ります。