神は私たちに新しい契約に従う力を与えられました。私たちは文字に仕える者でなく、霊に仕える者とされたのです。文字は人を殺し、霊は人を生かします。霊と真実
霊によって生きることが、真の真実であり、律法によって生きることは、見せかけの真実です。それは、律法によっては私たちは真実であることが出来ないからです。
信仰によって霊に生きる人は、神の前にあって真の自由を得ます。信仰者は霊によって自然に、巧まず意識せず真実に生きることが出来ます。律法によって照らされて自己の不真実を意識するとき、信仰者は泣いて霊の父なる神の御顔を仰ぎます。そこに信仰者の真実があるのです。自己の不真実を自覚するとき、「自分のような不真実な者は神の子と呼ばれるに値しません」と言って、神から遠ざかって行く人は、謙そんのようで実はごうまんです。神様から見て、素直な態度ではありません。これに反し、「自分のような不真実な人は、一層神によりすがる外はありません」と言って、不真実な自分をそのまま神に寄り頼んで行くならば、神の前にあってそれが人の真実です。
不真実は、自分の人間的判断によって神から離れて行こうとする一切の傾向と態度の中にあります。これに反し真実は、信仰によって生きようとする霊的な生活態度の中にあります。