夢と知識が多ければ、空しさは一層はげしいものです。しかしあなたは神を畏れなさい。虚無(きょむ)と暴力
理性に対する信頼を失った人は、人生のよりたのみと、問題解決の力を実力に求めます。神にむかって実力を求める人は信仰に至り、人にむかって実力を求める人は暴力に行き着きます。そこに人生の大きな分岐点があります。真面目に考える人は、社会の理想と現実の離れていることに悩み、人類の歴史に進歩の跡の少ないことに苦しみ、人間の理性が社会の理想を実現するために無力であることを認めます。懐疑(かいぎ)的な虚無思想におちいっている学生の悩みには、同情を以て理解し得るところがたしかにあります。
理性に対する信頼を失い、人間の空しさ感じる時、その空虚を満たす人格が神であることを知る人は幸いです。その人は、信仰によって永遠の生命の喜びに入ることが出来ます。 ・・・
しかし神を知らず、あるいは神に従おうとしない人は、理性に対する信頼を失う時、その頼みとする力は暴力であり、その空虚を満たす喜びは感情と感覚とです。こうして彼らは「実力行使」を是認する暴力主義となります。彼らは言います、「暴力に対する暴力。最後の解決はこれ以外にありません」と。
青年にむかって、「理性」の権威を説くだけでは、青年の要求を満足させることは出来ません。信仰か暴力か、つきつめて見れば問題はそこにあります。