7 月 2 3 日
あなたは果たして信仰に生きているかどうか、自分を省み、自分を調べなさい。あなたはイエス・キリストがあなたの内にいることを知らないのですか。

第二コリント 13: 5

信仰の追試

 科学者が一つの実験の結果を出した時、それが真であるか否かを確かめるため、多くの科学者が実験を繰り返します。これを「追試」といいます。信仰的真理も一度の啓示だけでは確かめられず、私たちの生活の実験を通して「追試」され、その真であることが実験的に証明されます。祈りによってある行為をしたとき、それが果たして神の御意にかなっていたか否かを、私たちはどうして確かめることができるでしょうか。それを確かめるものは、私たちのその後の生活です。私たちのその後の生活が信仰的に行われるならば、神の御意がどこにあったかが明らかに知られてくるのです。

 私たちの欲しなかったことを神がなされたとき、例えば私たちの愛する人の生命をにわかに神が召されたとき、私たちはどうして神の御意を善であると信じることができるでしょうか。神は愛ですから、そのなされたところはすべて善であると、一般的に信じることはできます。しかし自分自身について起こった具体的事件において、神のなされたところは真に善であった、真に愛であったと確かに知るのは、私たち自身のその後の生活を通してです。私たちがその後一層信仰的に生きて行くならば、神のなされた事はすべて善であったことがわかります。



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