7 月 2 5 日
あなたの道を主に委ねなさい。主に信頼しなさい。主はあなたの道を完成し、あなたの義を輝かせます。

詩篇 37: 5-6

割り切れない問題

 信仰に徹底するとは文字通り信仰に徹底することです。割り切れなくとも信じることです。この世の問題は信仰によって割り切る事の出来ないものがあります。信仰で割る時に、割り切れないのがこの世の姿です。きちんと割り切ったと思うときは、かえって大抵、間違いにおちいっています。自分の信仰が一人よがりのものであるか、この世の認識が足りないか、どちらかです。ローマ法王はすべての実際問題を割り切って、常に一つの整数を与えようとします。これは間違いです。信仰には徹底しなければなりませんが、自分の信仰的の知恵をたのんで、すべての問題を割り切ろうというのは信仰ではありません。それは高慢であり、不信仰です。信仰とは信仰であって、割り切れなくとも、割り切れると信じること、これが信仰です。私のソロバンでは割り切れませんが、しかし神様は割り切られます。これは割り切れませんと先生に答案を出せば、先生は百点をつけて下さいます。それは割り切れなくとも割り切れているのです。それを下手に割り切れた答えを出せば、かえって間違いです。私共がこの世の事を自分の知恵で割り切れなくとも、信仰が不徹底なのではありません。神様にはすべて統一があり、愛も力もあるから、たとえ自分で割り切れなくとも、私は神様に委ねる。これが信仰の態度として正しいのです。大抵の場合、原理原則は正しく示されているのです。



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