私の外なる人は亡びても、内なる人は日々新たにされていきます。今しばらくの患難(かんなん)は私たちに永遠のあふれるばかりの栄光を得させるのです。日々の新生
私たちの生まれながらの肉体はやぶれ、生まれつきの性格は改まらず、心身共にみじめなあり様であっても、神の恩恵により信仰によって与えられた霊的生命は日々に新たに、信仰より信仰へと進んで行きます。外なる私は壊れ朽ちて行きますが、新たな私はキリストに連なる生命であり、これが墓にある人にとっては復活の生命となり、地にある人にとっては栄光の生命となります。この生命がすなわち「永遠の生命」なのです。
肉の私を支えるものは肉のかてであり、霊の私を支えるものは霊のかてです。人生の目的は「生きる」ことにあって、「死」が人生の終局ではありません。イエスが、「朽ちるかてのためではなく、永遠の生命にまで至るかてのために働きなさい。これは人の子があなたたちに与えるものです」(ヨハネ 6:26)と言われたように、永遠の生命を養うかてのために働くことが人生の目的でなければなりません。