私の肉体に一つのとげが与えられています。それは私が高慢(こうまん)にならないため私を打つサタンの使いなのです。私はそれを離れ去らせてくれるよう三度主に祈りました。しかし主は言いました、「私の恵みはあなたに十分です。私の力は弱い所に現れます」。それだから私はキリストの力が内に宿るよう、むしろ喜んで自分の弱さを誇ります。肉体のとげ
パウロは肉体に一つの刺を与えられていました。それは自分に不快なものであり、他人からはいやしめられるものであり、伝道の妨げになる種類のものでした。それが具体的に何であったかを彼は語って居ません。 ・・・ それ一つは自分にして欲しい、あるいはそれ一つは取り去って頂きたい、という物や事柄や事情が私たちにあります。それも自分のためだけでなく、福音の助けとして必要に思うものがあります。しかし神は私たちの切な願いを聞き入れて下さらず、「私の恩恵はあなたに十分です」と言われたのです。それは、私たちの不足その事が神の能力の満ちる機会だからです。そこでは人間的条件の媒介(ばいかい)によらず、純粋に神の恩恵が感謝されます。その事がわかれば、私たちの身体的欠陥(けっかん)や、性格的弱点や、家庭的事情や、その他の不足がつぶやきと不平不満の種となる事から一転して、神の能力を感謝する原因となります。こうして私たちの人生は明朗ならざるを得ないのです。