神よ、シカが谷の水を求めあえぐように、私の霊(たましい)はあなたを慕(した)いあえぎます。私の霊(たましい)はあなたにかわき、生きている神を求めています。いつ、私は行ってあなたの顔を見る事が出来るのでしょうか。真理を見る事
自分たちの目指すところが見えませんと、山を登る力や勇気が殺(そ)がれるのであり、はるか彼方にでも目指す頂きが時々見えますと、勇気を鼓(こ)して一山一山と越えて行く事ができます。それと同様に最高の究極(きゅうきょく)の真理に私たちが接近する時も、その究極の真理を見る力、その完全な視力を私たちが与えられておりますと、それによって途中の一山一山を越えて行く事が出来るのであって、途中の高みはこれを見れば直ちにそこへ私たちの足を向ける力を持っているのです。
・・・ 一切の知識欲と真理への接近、つまり知識が真理に接近する事は信仰から起こるのです。そして神を見るとうい力は信仰から生ずるのです。全き信仰によって知識は励まされ、また光から光へ上げられて行くのです。理解されるや直ちに理解されたものに進んで行くという事、それも信仰の力です。信仰は愛を燃やすものです。信仰によって真理を見ればそれが自分たちの霊(たましい)に真理に到達しようとする愛を起こすのです。その愛が私たちの理知を励まして、真理より真理へと理知的理解を進歩させて行くのです。