8 月 2 2 日
「姦淫(かんいん)してはいけません」とはあなたの聞いて来たところです。しかし私は言います、だれでも情欲をいだいて女性を見る人は、心の中ですでに姦淫を犯しています。もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それをえぐり出して捨てなさい。体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方があなたの益です。

マタイ 5:27-29

姦淫(かんいん)

 情欲をいだいて女性を見るとは、女性を性欲満足の手段として見る事です。これにまさって人間としての女性の品位を汚す事、すなわち女性の人格を尊重しない事があるでしょうか。姦淫が罪である根本理由は実にこの人格無視に存在します。ゆえにそれは未婚の子女に対するのと、他人の妻に対するのとを問いません。いや、自己の妻に対してさえ、性欲満足の手段として見るときはおなじく姦淫の罪を犯すのです。だからイエスは広く「女性」と言われて、「他人の妻」と言わないのです。

 歴史上年久しく女性は男の奴隷(どれい)と見なされ、オモチャと見なされ、財産と見なされて来ました。しかしイエスは早くも男女の関係を根本的に正されて、女性は決して男の財産ではなく、男と同じ神にかたどられて創造された独立の人格として、これを認めました。こうしてイエスは根本的な女性解放者でありました。



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