神はテントで人と共に住み、人は神の民となります。神自ら人と共にいまして、人の目から涙をぬぐい取ります。もはや死も悲しみもうめきも痛みもありません。先のものはすべて消え去ったからです。かなしみ
悲しみの無い人生は、晴天続きの都会のように、乾燥し過ぎてほこりが立ちます。悲しみは人生のうるおいです。悲しみにうるおされて、人は永遠を思います。悲しみは永遠の窓であります。悲しみから見た人生に永遠の香りがあります。この世にこびり着いて離れ難い人の目を、神に向け永遠に向けて開くものは悲しみであります。悲しみの無い人は俗人であると言ってはばかりません。もし人の人間としての存在理由が永遠をしたい、永遠の生命を得る事にあるならば、悲しみは人生の祝福であります。イエス様の言われた通り、「悲しむ人は幸いです、その人は天国を見る事が出来ます」(マタイ 5:25)。 ・・・
悲しみは人生の事実であります。避け難い事実として人に来るものであります。人は悲しみを避ようと欲しますが、悲しみが人に押しかかって来るのであります。悲しみは人の求めて得たものでなくて、神が人に与えられた苦杯であります。ですからこの悲しみが人生のうるおい、永遠の窓、人間を本当の人間とするものであるならば、この事それ自身が全く人が求めて得た結果ではなくて、神の与えられた恩恵である事が解ります。