9 月 1 3 日
あなたは徒歩の人と競争して疲れるなら、どうして馬に乗った人と競争できるでしょうか。平坦な地で倒れそうなら、どうしてヨルダンの密林を通り抜けれましょうか。

エレミヤ 12: 5

エレミヤの服従

 あわれむべきは、エレミヤです。あなたが人間的弱さのゆえに訴える言葉を聞いて、もっともと思わない人はありません。神さへもっともと思われたでしょう。しかしそれにも関わらず、神はあなたがその人間的弱さの中に休らい、その中に甘えることを許されず、強い手をもってあなたをつかみ、あなたを引き立てて前進させたのです。あなたの生涯において何度も失望があり、疑いがあり、訴えがありました。しかし神はその都度あなたの相手となられることなく、構わずあなたを引き立てて神のあなたに定められた道を歩ませました。あなたはこれに服従して従順に歩みました。「私は預言者の道をを退かず、あなたに従いました」(エレミヤ 17:16)。誠にエレミヤは服従の子でした。彼の生涯は神に対する絶対服従でした。彼の信仰は理解でなくて、「歩み」でした。彼は理解した上で歩んだのではなく、理解の有無に関わらず、信仰をもって歩んだのでした。そしてその歩みの中に、実践の中に、理解以上の理解が与えられたのです。

 エレミヤの偉大はその服従にありました。 ・・・ 彼が神に従った服従は、恐怖感に基づく心配や義務感に基づく強制的な心持ちを越えてはるかに、純真な、自然な、水のしたたたるような新鮮な感じを私たちに与えます。それは彼に神との不断の生きた交わりがあったからに外なりません。



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