9 月 1 5 日
たとえ私が多くの言語や天使の言葉に通じていても、もし愛がなければ私はやかましい鐘(かね)や騒がしいシンバルと同じです。たとえ私が預言する力に優れ、あらゆる奥義(おくぎ)と知識に通じていても、また山を動かすほどの強い信仰があっても、愛がなければ私は無に等しいです。

第一コリント 13: 1-2

パウロの愛

 パウロは知識、弁証(べんしょう)に勝れ、信仰、預言の力が大きく、また一身を捨て危険を冒して伝道の大活動を行いました。彼は特別に優れた能力の人でした。しかし自分の一切の知識も活動も、「愛がなければ」本当に詰まらないものです。これがパウロの体験から出た偽らない実感でした。彼の活動に生命をもたらし、意義を与えているものは『愛』です。『愛』が彼の依り頼みです。『愛』が彼を弁護します。自分の成功も失敗も、能力も、無能力も、長所も欠点も、神の国に入る事に関しては何のプラスにもマイナスにもなりません。愛です、愛のみです。愛が人生のすべてです。これによってパウロは始めて自己の生涯の意味を認め得たのです。偉大なパウロよ、あなたは多事多難な生涯を、そして学識と労働の一切を、一本の草花にも比すべき柔和な『愛』の支えにかけたのです。



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