9 月 2 5 日
あなたたちの間で偉くなりたい人は仕える人となりなさい、頭になりたい人は全ての人のしもべとなりなさい。人の子が来たのは仕えられるためではなく、仕えるためであり、多くの人のあがないとして生命を捧げるためです。

マルコ 10:43-45

仕える事

 「私は人に仕えられるためでなく、かえって人に仕えるために来ました」と主は言いました。自分に対して人の仕え方が少ない、サービスがわるいと言って、つぶやき、不平を言い、腹を立てる人は、あわれみと柔和の心をもちません。あわれみと柔和をもたない心には平和が宿りません。平和の宿らない心は、共にいる人をたのしませません。

 神の恩恵に対する感謝の心と、神の愛に対する歓喜の情があふれていれば、自分に対して仕える人の仕え方が不十分でも、その労働にいたわりとあわれみの心が起こりますが、「けしからない」といって腹を立てることはありません。かえって、「仕えてもらいたい」と思う自分の疲労をさえ忘れて、喜んで人に仕えることができます。

 人と人との和合の根本は、仕えられることを求めないで、仕えることを喜ぶことにあります。それが主イエスの私たちに教えられた平和の道です。



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