9 月 2 9 日
学者とパリサイ人よ、あなたたち偽善者はわざわいです。あなたたちは人々に天国を閉ざし、そして自分も入ろうとしません。偽善の学者とパリサイ人よ、あなたたちはわざわいです。人に見られるために長い祈りを行い、しかも貧しいやもめの家を食いものにしています。ああ、だからあなたたちは厳しい審きをうけなければなりません。

マタイ 23:13-14

怒りと愛

 なぜ、イエスはかくも激しくパリサイ人・律法学者たちを責められたのでしょうか。 ・・・ 彼らの頑(かたく)な心は、イエスの言葉を聞き、業を見ても、神より使わされた人の知恵と力をその中に認めることを拒み、かえってイエスを神をけがす人、ベルゼブルの子であると言い、彼をおとしいれようと計りました。彼らは自らイエスを信じず、また人の信じる事をも妨害します。彼らは律法と伝統のあみの目をめぐらして天国の門の入り口をふさぎ、単純な信仰をもって神の国に入ろうとする民衆の目をあざむいています。彼らは律法の細則を民衆の肩に積み重ねて、民衆を死の道に導いています。民衆を愛し、弱い人の一人を救おうとされるイエスのやさしい愛と、学者・パリサイ人たちの偽善とごうまんをはげしく責められる彼の憤(いきどお)りとは、同じ根に連なっているのであって、一方なくして他方はあり得ません。たとえそれがイエスの十字架の死を招くことであったとしても、神を愛し人を愛するイエスの真実は、パリサイ人の偽善とごうまんを責めないではおれなかったのです。偽善に対してはげしく怒ることの出来ない人は、深く人を愛することは出来ません。



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