イエスは多くの町や村を巡り、その会堂で教え、福音を伝え、人々のあらゆる病、あらゆる苦しみを医しました。しかし群衆が飼う人のいないヒツジのように迷い出て、弱り果てているのを見て、深いあわれみを感じ、弟子たちに言いました。「見なさい、収穫は多いのに、働き人が少ないのです。収穫の主に願って働き人を使わしてもらいなさい」。ふん起の秋
見なさい、田は色づき、収穫を待っています。収穫物は多く、働き人は少ないです。救いを望む人々の心はかわき、福音の語られることを待っているのです。今やキリスト者は自分の殻(から)を出て、世に使わされた福音の使徒としてふん起すべき秋です。
聞きなさい、群衆はざわめき、指導者を待っています。唯物論者は情熱に燃えて町々に叫びますが、彼らは真理を知らないのです。この時に当たってキリスト者は自分の救いの満足にとどまって世の成り行きをただながめるのでなく、起きて世にむかい、確信の声を揚げるべきです。自己満足は罪です。傍観もまた罪です。善きサマリア人のたとえ話を知る人は、社会の混乱によって良民の苦しめられる事を見過ごすことは出来ません。今や世に使わされた真理の戦士として、キリスト者のふん起すべき秋は来ているのです。