死んでいた人が、子供から大人まで神の前に立っているのを見ました。種々の書物が開かれ、さらに生命の書が開かれました。死人はその行いによって、これらの書物に従って審かれました。第二の復活
世界にはエホバの名を知らず、キリストの名を知らずにこの世を終わった人々が非常に多くいます。彼らがそのような時代、あるいはそのような国に生まれて死んだのは、彼ら自身の責任ではもちろんなく、神の経綸(けいりん)によったのです。しかも彼らの中には、良心の律法に従って真実を愛した人が少なくありません。 ・・・
そうして有徳の異邦人、心に偽りのない人、又はもし生前キリストの教えに接したならばこれを信じたであろうごとき人は、たとえ異教徒として世を去ったとしても、神の恩恵によって子羊の生命の書にその名を記されているでしょう。神は行為と生命と両方の書を参照して、彼らが都の真珠の門を通り、都の光の中を歩み、各自の栄光をたずさえ来て、神を礼拝することを許されるでしょう。その際、彼らが生前キリストを知らなかったというキズは、都に生える生命の木の葉によって容易に医やされるのでしょう(黙示録 22: 2)。
こうして私たちは、ホーマーもプラトンもブッダも孔子(こうし)も、法然(ほうねん)も日蓮(にちれん)も、すべて生命の木の葉によって医やされた清き姿を、神の都の純金の大路の上に見い出す望みがあり、・・・ 見出す喜びをもつでしょう。