1 0 月 2 4 日
肉に従う人は肉の事を思い、霊に従う人は霊の事を思います。肉の思いは死であり、霊の思いは生命と平安です。なぜなら肉の思いは神に敵対し、神の法則に従わず、いや、従い得ないのです。それゆえ肉に歩む人は神を愛することが出来ません。しかし神の霊があなたたちの中に宿ればあなたたちは肉におらず霊にいるのです。

(ローマ 8: 5-9)

愛の三種

 愛には三種あります。アガぺ−(聖愛)は御霊(みたま)のはたらき、フィリア(情愛)そしてエロ−ス(恋愛)は肉のはたらきであります。それでは、情愛そして恋愛は罪でしょうか。情愛あるいは恋愛そのものが罪であることはありません。御霊によって導かれるならばそれらは美しいものでありますが、そうでない場合は罪です。母の子供に対する情愛は美しいものでありますが、その情愛に目がくらんでしまって、最も大切な愛、すなわち神を愛する愛を忘れるならば、罪です。恋愛も美しいですが、そのため神を忘れるならばそれは恐るべき罪となります。こうして、御霊によって歩むということがいかに大切であるかが解ります。御霊によって歩むならば、ただアガペ−の愛が立派に行われるだけでなく、情愛も恋愛も清められます。この御霊によって肉が導かれている状態が、霊のためにも肉のためにも、最善の状態です。これに反し御霊の導きを離れると、アガペ−の愛が行われないのみでなく、情愛も恋愛も亡んでしまいます。それは、御霊によって導かれない状態は、欲をはらんで罪を生み、罪が成長して死を生むからです。



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