1 0 月 2 5 日
主よ、あなたが私たちの不義に目を向けられるなら、だれがあなたの前に立てましょうか。しかしあなたには赦しがあるので、人は畏れもってあなたを待ち望みます。

(詩篇 130: 3-4)

失敗の幸福

 私たち自身の不真実から招く失敗があります。それは私たちのサタンの誘惑に敗れた結果の失敗であり、すこしも私たちの名誉にならない事柄です。私たちはいかに度々この種の敗北をサタンから喫(きっ)するでしょうか。私たちの人生はこの意味においても失敗の連続であると言えるのです。サタンは時に正面から私たちをおびやかします。時にはひそかに私たちの心を油断させて、そのすきまから忍び入り、大事を引き起こします。少しの心のすきまからサタンが侵入して、思わぬ罪を私たちに犯させ、思わぬ失敗を私たちに経験させます。その苦汁をなめた事のない人は、ほとんどないでしょう。これは私たちの恥ずかしい経験であり、神の前にも人の前にも顔向け出来ない事柄です。しかしこの失敗によって、私たちは自分がいつの間にか神から離れていた距離を意識し、自分の罪を神の前に悔い改めます。いつの間にか世を愛しかけていた精神、いつの間にか安逸(あんいつ)を欲していた心に鉄槌(てっつい)が加えられて、私たちは神の前に謙そんとなり、再び神に結びつけられます。 ・・・ 神は私たちの失敗を幸福に転じられるのです。



上へ前へ次へ