1 1 月 3 日
私たちはこの霊の宝を土の器である身体に入れています。これは霊の大きな力が私たち自身から出るのではなくて、神から出ることが現れるためです。私たちはあらゆる所から患難を受けても困らず、すべての方法がなくなっても希望を失わず、責められても棄てられず、倒されても亡びず、つねにイエスの死を身に負っています。これによってイエスの生命が私たちの身にあらわれるのです。私たち生きている者がつねにイエスのために死に渡されるのは、イエスの生命が私たちの死ぬべき肉体にあらわれるためです。こうして死は私たちの内に働き、生命はあなたたちの内に働くのです。

第二コリント 4: 7-12

死と生命と

 私たちの肉体は死にわたされます。しかしイエスの生命は私たちの死ぬべき肉体に現れます。私たちは死んで行きます、しかしその中にあなたたちは生命を見たでしょう。この生命が、残るあなたたちの内に働くのです。これが召された人についての感謝であり、遺族(いぞく)についてのなぐさめです。



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