主は言います、「私の思いはあなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道とは違います。天が地より高いように、私の道はあなたたちの道より高く、私の思いはあなたたちの思いよりも高いのです」。神意の認識
人は自分の心に臨む、ある思いが人意ではなく神意であることを、何によって知り得ましょうか。それが神意である場合には、何よりも先ず圧倒的な畏怖(いふ)、厳粛(げんしゅく)感が私の心を支配して、一切のゲーム的な「笑い」を禁じます。第二に自己の利益・欲望の打算から出たものでなく、単純素直な心に泉み出た思いであることが必要です。第三にそれは時の経過によって緊張を失うことなく、かえって益々純化されて行きます。第四に自分の心の思いを自ら秘めて、つつしみを以て日を過ごす中、それの成就されて行く道が客観的に開かれます。以上のごとき場合には、その事が神意として私たちの服従を要求しているものと考えてよいでしょう。そうでない場合は、自己中心的な主観的欲望を美化し飾るために「神意」の名を以て、自分と人とをあざむく危険におちいり易く、深い注意が必要です。主観的に強い欲求をもつだけでは、信仰的な歩みにはならないのです。