兄弟姉妹の皆さん、私はすでに捕らえたとは思っていません。ただ一事を努めています。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かって進み、イエス・キリストによって上に召される神の賞与をめざして走っているのです。過去、自己、崇拝(ピリピ 3:13)
過ぎ去った事を思って、過去に生きるべきではありません。後のものを忘れ、前のものに向かって励み、いつも前向きの姿勢で走らなければなりません。感謝にせよ後悔にせよ、回顧はただ一瞬にして止め、それを直ちに前進のための刺激として役立たせなければなりません。うつむいて自分の事だけを見つめるべではありません。自分の中に何の善きものがあるでしょうか。常に上を向いて、キリストの救いの完きを仰がなければなりません。自分を見て得意になったり、あるいは劣等感を抱だいたりする、自意識過剰(かじょう)は人をキリストの救いから引き離します。自己の中に沈まず、キリストのなかに沈んでください。人を見てつまずいたり、人を崇拝(すうはい)してはいけません。人によって神を見ず、キリストによって人を見なければなりません。人間崇拝は不信仰です。人に対して真実である事と、人を崇拝する事とは根本的に異なるのです。