1 2 月 2 8 日
それだから、キリストの力が私に宿るように、むしろ喜んで自分の弱さを誇ります。私はキリストのため喜んで、弱さとはずかしめと危険と迫害と苦しみに甘んじます。なぜなら、私が弱い時こそ、私は強いからです。

第二コリント 12: 9-10

二人のクロムウェル

 オリバー・クロムウェルがハンプトン宮殿で臨終(りんじゅう)の病床にあった時、夜となく昼となく何度も付きそいの牧師を呼び寄せて「私のような罪人でも救われるでしょうか」と聞き、「イエス・キリストの救いによってどんな罪人でも救われます」という答えを聞き、それなら安心ですと言って眠りについたと言います。 ・・・ 

 確かに二人のクロムウェルがいました。一人は勇猛(ゆうもう)果敢(かかん)、聖霊に満ちて福音によりイギリス民主主義の基礎を開いた人。一人は死の瞬間まで自己の罪に悩み、生まれつきの性質や、秘かな、また公然たる恥ずかしい行為、あるいはそれが公表されたならば彼の名声がまったく地に墜ち、事業がざせつしたかもしれないような行為もあったかもしれません。このような人間は許してくれるかどうか、最後の最後まで心配したクロムウェル。 ・・

 どちらも本当のクロムウェルです。栄光の座と罪人の頭、この二つを結びつけたものはキリストの救いです。罪人を赦し、その恥しさと醜(みにく)さを大きな聖翼(みつばさ)のかげでおおいつつみ、その人を福音のための戦士とされる神の聖業は実に驚くべき限りです。



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