エレミヤの召命

1998年07月05日

エレミヤの価値
エレミヤの時代
エレミヤの召命
エレミヤの信仰


エレミヤの価値

今日は前回に引き続いてエレミヤを学びたいと思います。前回はエレミヤの新しい契約、つまり心の律法と罪の赦しの福音について学びました。心の律法とは聖なる心であり、エレミヤにとっての聖なる心とは悔い改めた心、良心に素直な心、そしてひたむきな心であると述べてきました。またエレミヤは罪の赦しによる救いの道を発見しました。これはイザヤの信仰による救いと並んで不滅の功績です。そして、心の律法と罪の赦しは共にイエスによって完成されたことを学びました。

今日はエレミヤの生涯を通して彼の価値と信仰を学びたいと思います。内村鑑三はエレミヤを「最大の預言者」と呼び、「エレミヤが解らなければイエスは解らない」と言ってます。また矢内原忠雄はエレミヤは深く、人生の苦闘を経なくては彼の価値は解らないといっています。さらに社会学者のマックス・ウェーバーは彼の学問の重要な概念である「使命預言」の最も純粋な型をエレミヤに見い出しています。

私にとってもエレミヤはかけがえのない存在であり、私もエレミヤを愛します。前回矢内原の「エレミヤを思う」を読み上げましたように、エレミヤに比べたら私の信仰は妥協であり、私の人生はママゴトに過ぎません。「エレミヤよ、私を深くまた強くしてください」と矢内原と共に呼びかけたいと思います。

エレミヤの時代

まずは全体の歴史からエレミヤの置かれた状況を見たいと思います。下のイスラエルの年表を見てください。

エレミヤはイエスが生まれる600年前エルサレムに登場しました。年代としてまず覚えておきたいのは、言うまでもありませんが、イエスが誕生した紀元の始まり(正確には紀元前6年前後と言われていますが、確定はしていません)、次はバビロンにエルサレムの民が捕え移された紀元前600年(正確には597年)です。他に覚えておきたいのはモーセの律法と契約の成立が紀元前1300年ごろ(ただしその年代ははっきり定まっていません)、それからダビデが統一王国を築いた紀元前1000年(正確には1003年)です。エレミヤの当時はすでに北のイスラエルはアモス、ホセアが預言したごとく亡ぼされ、エルサレムにイザヤ、ミカが登場してから100年が過ぎていました。

それでは本文に入りたいと思います。エレミヤ書1章1節を開いてください。

ベニヤミンの地アナトテにいた祭司氏族のひとり、ヒルキヤの子エレミヤのことば。

ここでエレミヤ時代の地図を見てください。

エレミヤはエルサレムから北東に5kmほど離れたアナトテという村の祭司族の子として生まれました。この辺りはヤコブの末っ子とよばれたベニアミン族の領地です。エレミヤは祭司の家系であったと書かれていることから、昔ダビデに仕えた祭司アビヤタルの子孫と言われています。列王記を見ますと、ソロモン王の時アビヤタルの一族はアナトテに追放されたと、書かれているからです(1列王2:26-27)。エレミヤが祭司アビヤタルの子孫かどうかはこれだけでは決められませんが、ここで重要なことは祭司の家に生まれたエレミヤは子供のときから神に対する敬虔な態度を培われ、神の律法をよく学んだことです。ただ注意すべきことは、それにもかかわらず、エレミヤは祭司にはなりませんでした。かえって申命記改革という地方祭壇祭司の廃止運動にエレミヤが参加したため自分の家族と親族に憎まれ、殺されそうになりました。この点についてはいずれ詳しく話す機会があるかと思います。

次に2-3節を読みます。

アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第13年に、エレミヤに主のことばがあった。それはさらに、ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時代にもあり、ヨシヤの子、ユダの王ゼデキヤの第11年の終わりまで、すなわち、その年の第5の月、エルサレムの民の捕囚の時までであった。

一回にしては知識の量が多すぎるかもしれませんが、今度はエレミヤの年表を見てください。

ヨシヤの13年とは紀元前627年、ゼデキヤ王の11年とは紀元前587年というのが定説です。つまり紀元前627年から587年まで40年間にわったて、エレミヤは時を得ても得なくても神の言葉を述べ、神と共に歩み、神と共に戦う生涯を送りました。この587年のバビロン捕囚は二回目のもので約800人が連行されましたが、その11年前に行われた597年の最初のバビロン捕囚はもっと規模が大きく、エルサレムの主だった人たち約3000人が連行されました。地図でみますとエルサレムからバビロンまで約1000kmあり、大移動は一日普通30kmも進めませんから、一ヵ月以上かかる計算になります。バビロン捕囚は聖書の歴史上一大転機でした。そしてエレミヤは正にこのバビロン捕囚を預言し目撃する人として神に使わされました。

エレミヤの召命

次にエレミヤの召命に入ります。1章4-5節を読みます。

主の言葉が私に臨んで言いました、「わたしは、あなたを胎内に造る前から、あなたを知り、あなたが産まれ出る前から、あなたを聖別し、あなたを万国の預言者と定めました」。

生まれる前からエレミヤを預言者に定めていた、と神は語りかけます。日本のことわざに「三つ子の魂百まで」というのがありますが、エレミヤは物心ついた時から神のみ手を感じていたのでしょう。エレミヤは神の預定を確信していました。エレミヤは他の箇所で「人はその歩みを自分で決めることが出来ない事を私は知っています」(10:23)とも告白しています。人の人生は生まれる前からすでに神のみ手にあり、その人格は不変でその使命は定まっています。

そして神がエレミヤに定められた使命は「万国の預言者」であります。単にイスラエル、ユダヤの預言者であるばかりでなく、万国の預言者です。そして実際エレミヤは近隣のシリア、ヨルダン、アラブ、エジプト、バビロンの諸国に対しても預言をしています。しかしながら信仰によって見るとき、エレミヤは今日の日本に対してもアメリカに対しても、いや世界の全ての国に対して預言を行っています。それほど彼の預言は普遍的です。

次に1章6節を読みます。

そこで、私は答えました。「ああ、神、主よ。このとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません」。

神の召命に対するエレミヤの応答は自分にはその資格がないとのためらいでした。このエレミヤの応答は、彼が内気で感受性の敏感な青年をイメージさせます。ひょっとしてエレミヤは100年前に現われたイザヤの風格と雄弁を自分と比べたのかもしれません。イザヤは神に預言者として召し出されたとき、「ここに私がいます、私を使わしてください」(イザヤ6:8)と言いました。これに対して内気で田舎育ちのエレミヤは自分の弱さと未熟さのゆえにためらいました。

エレミヤの召命は23才ごろであろうと思われます。その根拠はこの「私はまだ若く、語ることを知らない」という言葉です。もちろん20才でもよく25才でも良いのですが、正確に決める手だては今の所ありません。ただ15才では若すぎるし、30才では最後にエジプトで大石をかつぐエレミヤが70才を過ぎていることになってしまいます。

次に1章7節を読みます。

すると、主は私に言いました。「まだ若い、と言ってはいけません。わたしがあなたを使わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語りなさい。だれの顔も恐れてはいけません。わたしはあなたと共にいて、あなたを救い出すからです」。

エレミヤのためらいに対して神は、「私の言葉がどれほど恐ろしく辛いことであっても、あなたはつつみ隠さず全てをエルサレムの民に向かって語りなさい。彼らの怒りや脅しや迫害を恐れてはいけません。私が共にいてあなたを救い出すからです」、と応答しました。無理やり引き立てる言い方です。そしてエレミヤはその神の命令に従って神と共に歩みました。

神はエレミヤの人望や知識や力を見込んで預言者としたのではありません。預言者に要求される資質は年令でも雄弁でもありません(出エジプト4:10-12)。預言者の資格について矢内原忠雄は次のように言っています。

預言者の資格は年令や人生の経験によるのではなく、素直に神の示されたものを見、語られることを聞き、命じられた言葉を告げる真実な心と純な信仰にあります。... 預言者は神の言葉を聞いて、これに加えることなく、また減らすことなく、そのまま純粋に伝えることを任務とするため、素直で真実な性格を要求され、人の顔を恐れない勇気を必要とします」。

(聖書講義8:580)

預言者は神の言葉と命令を一点一角も割り引かず付け足さずそのまま伝えなければなりません。ですから預言者は何よりも真実でなければなりません。そのような使命に自分の経験や知恵や雄弁はかえってじゃまになります(1コリント2:1)。自分は神の道具(スポークスパーソン)にすぎないのだ、という自覚と態度が預言者に要求されます。

しかし、預言者はこの世に受け入れられず、かえって憎まれ、迫害されます。この預言者の運命を背負うためには勇気が必要です。誰も信じず、全ての人が反対するときも一人立って神の言葉を曲げずに述べなければなりません。苦しくても悲しくても歯をくいしばって神について行かなければなりません。

次に1章10節です。

そして、主はみ手を伸ばして、私の口に触れ、私に言いました。「今、わたしのことばをあなたの口に入れました。見なさい。わたしは、今日、あなたをもろもろの民と国の上に立て、あるいは抜き、あるいは倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるいは建て、また植えます」。

神は直接行動にでました。自らの手でエレミヤの口を清めました。神の言葉は両刃の剣です、信じる者には生命の力であり、信じない者には亡びへの審きです。今日においても、一国の運命はエレミヤの預言に聞き従うか否かにかかっています。それだけ彼の預言は偉大です。預言者は生命の道と死の道の選択を人々の前に置きます。従うものは生き、背くものは亡びます。まことに預言者は亡びる者には死の香りであり救われるものには生命の香りです(2コリント 2:16)。神に立てられないのなら、誰がその任務に耐えることが出来るでしょうか。しかしエレミヤは信仰によって神と共に歩み、良くその使命を果たしました。

以上召命の出来事を見ると、エレミヤは神と対話をしています。神はエレミヤに語りかけ、エレミヤは神に答えています。信仰に入るとは神との対話と愛の交わりに入ることです。そしてこの対話を聞いていると、マリアの受胎告知のような清らかさ、静かさ、敬虔さが流れています。そこにはなんらの儀式も飾りも制度も建物もありません。人の作りものを一切排して、アナトテの自然の中で神との直接の交わりを持っています。この時から預言者としての自覚がエレミヤに生まれました。そして受胎した乙女のようにその成長を見守り、神との交わりの中でしばらく静かに過ごすことになります。

エレミヤの信仰

今日も短いですが、エレミヤの召命を通して私たちが学ぶべきことを繰り返したいと思います。第一に常日頃真実な心で生活し純な信仰に生きなければなりません。その中でのみ私たちは神に出会うことが出来ます。第二に神の預定に対する信仰と従順こそ人生の本当の意義です。その中で人はそれぞれに他人を以ては取り替えることの出来ない使命を神から与えられます。第三に人の顔を恐れずに神の言葉を述べ、神の命令を守る勇気を持たなければなりません。最後に神との対話を通して信仰を深めなければなりません。神は信じる者一人一人と直接的な交わりを持たれます。その交わりを通して私たちの信仰は成長し、私たちは神の使命を果たすことが出来ます。

最後に矢内原忠雄の「エレミヤの信仰」を朗読して、今日の話を閉じたいと思います。

エレミヤの信仰は神への愛情でした。それは心の深い契(ちぎ)りであり、霊の底における交わりでした。愛情のゆえに何の概念(がいねん)も儀式も制度も必要としませんでした。そこにはただ打ち込んだ霊の躍動(やくどう)があるのみです。エレミヤの信仰生活は霊と真実とを持って神を熱烈に愛した生涯でした。

(『日々のかて』1月5日)


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