国を導く者
今日は「国を導く者」と題して話したいと思います。国を導く者といえば一般には首相や大統領といった政治家を想像します。しかし長い目で一国の将来をながめるとき、その国を真に導く者、その国の永遠的基をすえる者は、妥協によって実際の政策を決める政治家ではなく、神の啓示によって国の理想を明らかにし、その実現のために戦う預言者であります。ユダヤ民族を存続させ、イスラエル国家の復活を基礎づけた者はイザヤ、エレミヤに代表される聖書の預言者たちの戦いでした。アメリカを南北分裂の危機から守り、人種の紛争から守って自由と平等の国に導いた者は大統領であると共に預言者でもあったリンカーンと黒人預言者のキング牧師の戦いでした。日本国家の将来を決める者は天皇でも首相でもなく、預言者の内村鑑三であり矢内原忠雄であり、またその預言者の戦いを受け継ぐ者です。
以上が今日の話の趣旨です。これをまず始めにアメリカから論じたいとおもいます。
私は4年前の1994年初めてアメリカを訪れて、そこで一番おどろいたのは人種の共存でした。そこは白人も黒人もアジア人もユダヤ人もラテン人もイスラム人も共に生きることの出来る基礎がありました。アメリカは人種の差別や偏見をなくすために本気で戦っている国でした。法律が人種差別を禁じ、行政がそれを支えているのみでなく、人種の共存はアメリカ合衆国の理想であり、社会の誇りとなっていました。その理想のために共に苦しみ共に戦ってきたという記憶と、これからも戦っていくという決意がアメリカ人の共通の意識としてありました。私は外国人でしたが、一人の人間として平等な扱いをうけ、公正にアメリカの社会に受け入れられました。
これは現在の日本では考えられないことです。部落民の差別、在日外国人の疎外が根強い社会で、外国人や異色人種が集団で住み付けばたちまち差別と偏見が横行することは目に見えています。日本には人種問題で格闘した歴史も人種共存の理想も存在していません。
もちろん今でもアメリカは人種問題に苦しんでいます。人種的な差別や偏見は人間の悲しい性向ですから、完全に消えることはないでしょう。平均で見れば黒人は貧しく犯罪が多いです。ホームレスの人も刑務所に入る人も黒人がとても多いです。しかし「だから黒人はだめだ」とはいいません。黒人を人種としてあるいは全体として見て価値判断を下しません。そうではなくて、アメリカ人は一人一人の倫理的資質を見、それによって人を判断します。
実にアメリカは人種の壁を乗り越えつつある国家社会の偉大な実験場です。そこで私は一つの問いを抱きました。なぜアメリカでは人種の共存が可能で、日本ではほとんど不可能なのでしょうか。何がアメリカで人種の共存を可能としている原動力なのでしょうか。
様々な原因が考えられるでしょうが、その中で一番重要なのは二人の指導者、一人はリンカーン大統領そしてもう一人はキング牧師、の存在です。
私は以前「人民の人民による人民のための政治」という有名な語りが出て来る、リンカーンのゲティスバーグ演説を読み上げ、自由と平等の理想のために命を捧げた、彼の高尚な生涯を紹介しました。そのリンカーンは、南北戦争の最中の、第二期目の『大統領就任演説』の終わりで次のように語っています
もし250年間の報われなかったどれいの労働によって積み上げられた富がすべて消え、ムチによって流した血のすべてが今剣によって流される血によって償われるまで、この戦争の続くことが神の意思であっても、3000年前と同じく、今日もなお「主の審きは真実ですべてが正しい」と言わなければなりません。
だれに対しても悪意を抱かず、すべての人に対して愛をもち、神が私たちに示したその正義の確信によって、私たちが今取り組んでいる課題を成し遂げるため努力しようではありませんか。国の傷を医やし、戦争に従軍した人とそのやもめとみなし子を助け、私たちの間とそしてすべての国の間に正しくそして永続する平和を建設し守るためにすべての努力をつくそうではありませんか。
このリンカーンの演説に対した矢内原は次のように解説しています。
これはゲティスバーグ演説と共に、リンカーンの二大演説に数えられる演説です。彼はここで政治家というよりも、預言者のごとく語りました。南北戦争は始めだれも予想しなかった大戦争になり、だれも予想しなかったどれい制度の全廃という大結果をもたらしました。そこにリンカーンは南北両軍の意図を越えた、神の働きを認めました。・・・ およそ戦争指揮の責任者としてこれ以上の高い精神を持つことは何人にも期待しがたいところです。この演説一つだけをもって、リンカーンの名は永久に記憶される価値があると思います。
(全集24:129)
リンカーンの導きによって、アメリカは南北分裂の危機を免れ、奴れいは解放され、国の自由と平等の理想は保たれました。そしてまもなく奴れいはアメリカからいなくなりました。
リンカーンの奴れい解放宣言から100年がたちました、依然として黒人差別は続いていました。とりわけ南部では黒人隔離法を作って乗り物、学校、ショッピング、仕事といったあらゆる場面で黒人と白人を隔離していました。そうした時代にキング牧師が登場します。1955年バスに乗った黒人女性が白人席に座ったことで逮捕されたのをきっかけにキングの非暴力抵抗運動が始まります。何度も刑務所に入れられましたが、不とう不屈の精神で黒人の自由と権利の平等のため、また人種共存のために戦いました。そして1963年に黒人市民権の平等と自由を求める集会がワシントンのリンカーン記念広場で開かれた時、キング牧師は記念すべき演説「私には夢があります」を、20万人の支持者の前で語りました。その所を読み上げたいと思います。
私には夢があります ・・・
いつの日にか、ジョージアの赤土の丘の上で、かつて奴れいであった者たちの子孫と、かつて奴れい主であった者たちの子孫が、兄弟として同じテーブルに向かい腰掛ける時がくる、という夢が私にはあります。 ・・・
いつの日にか、私の4人の幼い子供たちが肌の色によってではなく、人格そのものによって判断される国に住む時が来る、という夢が私にはあります。 ・・・
いつの日にか、すべての谷間は高められ、すべての丘とすべての山々は低くされ、すべての荒れ地は平らにされ、岩肌の地はまっすぐにされ、主の栄光が現れ、すべての被造物が共にそれを見る、という夢が私にはあります。
これは私たちの希望です。これは私が南部に戻るときに持ち帰る信仰です。この信仰よって私たちは絶望の山から希望の石を掘り出すことが出来るでしょう。この信仰によって私たちはこの国の混沌とした不協和音を兄弟愛の美しいハーモニーに変えることが出来るでしょう。この信仰によって私たちは共に働き、共に祈り、共に戦い、共に刑務所に入り、共に自由のために立ち上がり、いつの日にか自由になるでしょう。 ・・・
もしアメリカが偉大な国であるのなら、この夢を実現しなければなりません。この演説はアメリカ史上最も評価の高い一つで、色々の機会に読み上げられ、語り継がれています。とりわけ、国民の祝日となったキング牧師の誕生日には各地で記念集会が持たれ、この「私には夢があります」を朗読して、アメリカの人種共存の理想を思い起こし、その実現の決意を新たにしています。私も、キング牧師が博士号を取ったボストン大学でその集会に出席する機会があり、彼の国家の理想がアメリカ人を今日のように導いていることを悟りました。
このように、二人は神の啓示によって語り、人を導く預言者でありました。二人は国家の理想を示し、またそのために戦い、命を捧げました。これによってアメリカの民主主義と人種共存は築かれたのです。ただ悲しいことは二人とも暗殺によって命を失いました。リンカーンは56歳で、キングはまだ40歳でした。しかし逆説的なのですが、二人の死はかえって国の基をすえました。一粒の麦が死んで多くの実を結んだのです。
さて、そもそも国家とは何でしょうか。社会学者のウェーバーは、国家とは人種共同体でも、言語共同体でも、あるいは文化共同体でもなく、むしろ理想共同体であり、価値と使命と名誉の共同体であると定義しています。また共通の目的や運命のために生死をかけて共に戦ってきた記憶の共有は国家意識の決定的な要素であり、国家共同体とは記憶共有体であるとも、「政治共同体の社会学」の中で言っています。
このウェーバーの定義がいかに的をえたものであるかは、さきほどのアメリカ合衆国の例が実に典型的に示しています。リンカーンとキングがアメリカにとってかけがえのない存在であるのは、二人が国家共同体の基礎である理想を示し、その価値と使命のために自らの命をささげて戦ってきたことが国民の記憶の中で共有の誇りとなったからです。
この国家の定義は、もちろん日本にも当てはまります。日本は単一民族だから、同じ日本語を話すから、あるいは習慣と伝統を共有するから、一つの国家共同体なのではありません。そうではなくて日本は理想を共有し、その価値と使命を誇りとし、その理想の実現のために命も惜しまず戦うから国家なのであり、またその理想のために共に苦しみ共に生死を分かち合う記憶を共有しているから国家共同体なのです。
しかしここで問題となるのは、それでは何を国家の理想とするかです。戦前日本国を導いた者は、神でない天皇を神とあがめさせ、軍国主義をもって国家の理想としました。彼らはこの理想を実現するために手段を選ばない不義の策略と暴力に依り頼んで、弱い国の権利をかすめ奪い、個人の自由を抑圧して来ました。そして、この誤った理想を民に信じ込ませ、その価値と使命を誇りとさせ、そのために命を捧げることを要求してきました。その結果が敗戦という神の審きでした。戦前日本国を導いた者は偽りの指導者、その理想は偽りの理想だったのです。
それでは一体、何が正しい永遠的価値のある国家の理想なのでしょうか。この問いに正面から答えているのが矢内原忠雄の記念すべき論説、「国家の理想」です。時は1937年の夏、日本が中国に戦争を仕掛け太平洋戦争の道をまっしぐらに進み始めたとき、「抗しがたい圧倒的な声が天より」矢内原に臨みました。彼は「骨をペンとし、血と汗をインキとして」、「国家の理想」を一気に仕上げ、「中央公論」の9月号に載せました。日本政府は直ちに「中央公論」を発禁処分にしましたが、この預言の永遠的価値は少しも損なわれず、かえってその重要性を示す結果となりました。この預言の中で、「国家の理想とは正義と平和であり、その具体的内容は弱者の権利を強者の侵害と圧迫から守ること」と矢内原は言っています。そして、「神の啓示に基づいて国家の理想を明示し、国家の理想に基づいて国家の現実を批判する者」が本当の預言者であり、「国の永遠の基礎は預言者によって支えられる」とも言っています。
このように、国と民が真に必要とするのは、正しい理想を示す、真の預言者です。内村鑑三がその一人でした。彼は二つのJ、すなわちイエスと日本を愛しました。彼はエホバの神の正義を現すため天皇を神と崇めることを拒んで、民から迫害されました。平和の理想を守るため非戦論を唱えて、新聞記者の職を失いました。神が太平洋戦争の時代に使わした矢内原忠雄も本当の預言者でした。彼は「日本の理想を生かすために、一先ずこの国を葬ってください」、と言ったため東大教授の職を追われましたが、新たに月刊誌「嘉信(かしん)」を創刊し、神の正義を宣べ伝え、平和の理想を守って、「日本人の良心」、「世の光」となりました。
この二人の預言者が日本国家の理想を支えたのです。社会学者のカルダローラはこの二人の平和主義に日本独自の教えを見いだし、「日本的キリスト教平和主義の創造」と呼んでいます。そして無教会の使命は「盲目な社会の圧力に対抗し、現存の社会と文化の制度に対して新しいキリスト教の理想と目標を与える」事であり、「日本と世界に対して明確で権威的な預言を啓示するカリスマ的人格として自己をあらわす」事であると、彼の論文「無教会の平和主義」の中で述べています。
このように、無教会の預言者は神の啓示により、国の真の理想を示し、その理想の実現のために命を捧げて、戦わなければなりません。終わりに国家の理想に対する矢内原の預言を読み上げて、今日の話をしめくくりたいと思います。
自分の国を愛する人はまず何よりも正義と自由と平和のために「国の理想」を求めなければなりません。自国の利益のために「その理想」を悪用し、個人の自由を抑圧し、国際紛争を引き起こす国は、ついには亡びます。「国の理想」は歴史的社会的発達の産物です。それゆえ「国の理想」は耕され、教育され、純化される必要があります。・・・ 「国の理想」を正義によって清めなさい、自由のために発達させなさい、そして平和へと実現させなさい。
(1934年4月、『民族と平和』
原文の「民族主義」を「国の理想」と置換)1998/08/02 講述
1999/07/06 更新