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愛農聖書研究会「平和と沖縄と聖書と」

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10月3~5日で聖書研究会がありました。

今回で122回目の聖書研究会、愛農高校の姉妹組織である聖霊社が主催し、年2回開催しています。

数年前から愛農生もプログラムに参加できるようになりました。

なかびの4日は午前中いっぱいかけて、「平和と沖縄と聖書と」というテーマで、愛農高校との合同プログラムを持ちました。

 

 

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10月4日(金)、愛農高校では島しづ子牧師(名古屋堀川伝道所)をお招きして、「平和と沖縄と聖書と」という演題で講演をしていただきました。ハンディキャップがある方と30年以上歩まれてきた方であり、知的障がいを負った人々が暮らす共同体の世界的ネットワークであるラルシュホームとの繋がりをお持ちです。

「(ハンディを持つ)この人たちに耳を傾けたら、世界は平和になる。」とラルシュの創設者、ジャン・バニエの言葉を紹介されていました。平和について、福祉と沖縄の現場からお話しをいただく島先生の講話から、筆者の心に残る言葉で講演の内容を紹介しますと次の通りです。

(ラルシュの働きは)「障がいがある方を世界の中心に置き」「彼らと同じ立場で生きようとしたものだった。」「私たちの本質は“弱さ”。それを攻撃されないために、武力を持っている。自分を守ることで、人を犠牲にする。(隣国への不信感)私も死ぬのが怖い。けど、死への恐怖がこの問題の根にある。」「(ハンディがある方との関わりから)「自分より強い人、怖い人に対しては顔色を伺う。自分よりもっと弱い人には暴力を向かわせる。その関係性がこの世の仕組みを表わしている(暴力の連鎖)」「自分の持っている怒りの本性(過去の自分が馬鹿にされた経験)を意識化すること。それらに共感を与えられる機会を持つこと。」

そして、ハンディキャップを負っている人々にこそ、自分の癒しがたいところを慰めてくれたこと。彼らのうちに人を励まし、力づける働きがあり、それに助けられた経験を分かち合ってくださいました。

沖縄の現在の基地問題の根本には、「自分達のいらないものを沖縄において、見て見ぬふりをする。差別の問題がある」ことを指摘されていました。沖縄戦で宮古島では16か所の軍隊慰安所が存在していたこと。そして、軍隊慰安婦としていた女性たちの慰霊碑が11か国語で建てられていること。(そこにはベトナム戦争で韓国軍によって被害者となった人を含む)。そもそも自分達の基地に対してもっているイメージは、米軍は日本を守るためにいるわけではなく、基地は攻めるためのものであることなどをお話しいただきました。

その後のパネルディスカッションで沖縄辺野古の新基地建設の座り込みの現場では何がおきているのか。本土と沖縄の報道、情報の格差があること。信じられる情報は、自ら目で見て、聞いて、考える判断力を身に付けること。本土の人々の無関心に対する鋭い指摘。(無関心であることで沖縄に対する加害者となっている)米軍基地問題の根本には、日米安全保障条約(安保条約)があることが話題に上がりました。

講演に参加した生徒がグループディスカッションにおいて次のような感想を話していました。「(この社会では)人間に格付けがある・・中学時代にホームレスの人と関わる機会があった。交流してみると、いい人だけど、関わっても壁は感じる。(島先生が講演でお話しされていたように)「普通の人」より上だと尊敬され、下だと見下している・・下の人たちと関わることがなぜ大事なのか、自分にはまだわからない。」

「勉強してから沖縄に行きたい。自分は沖縄を踏みにじっているから。自分はなぜ、生きているのだろう、と感じる。私が愛農でぬくぬくしている間、沖縄やアイヌの問題など、色々なことが起きているのに・・情報を吸収していきたい。」

「いつも通り生活しているだけで加害者になる。何も考えなければ。今の政治を選んでいるのは、与党を支持する人がきっちり投票にいっているからだ、という話を聞いたことがある。投票をしない人がこの現実をつくっている。いまの政治に不満があっても、言うだけで行動しない大人にはなりたくない。」

そのような感想が生徒から聞かれました。筆者自身も沖縄の辺野古などを訪れた事がありますが、無関心な本土の人間の一人であることを改めて知らされました。生徒が語る沖縄のイメージは、「比較的、最近日本になった。やはり遠い場所」という言葉もありましたが、「沖縄」の現実を知る持つきっかけをいただいたことに感謝です。長文、読んでいただき、有難うございました。

〈マツダ〉