11月18日(土)、愛農高校に栃木県からアジア学院の方々が来校してくださいました。アジア学院とはアジア・アフリカから農村のリーダーを招き、有機農業とリーダーシップのトレーニングをする学校です。研修生としてインドネシア、フィリピン、東ティモール、カメルーン、ジンバブエ、日本など多様な国々の人々が集っている共同体です。同校の食糧自給率は95%に達し、「食べ物」と「命」は切り離せないものであることを全身で学んでいます。今回はその研修生の方のお話しと交流の様子をお届けします。
1限目の朝拝では、インドネシアでぺトラサ基金というNGOで地域開発指導員をされているリドワンさんよりお話しをいただきました。愛農生に向かって、農村で生きるやりがいと「誰かのために」「何かのために」生きることの大切さについてメッセージをしていただきました。
リドワンさんは高校卒業後に銀行員を目指していたそうです。しかし、最初に採用通知が来たのは現在働いているぺトラサ基金でした。農村で住むことも、農民と働くことも最初は好きではなく、給料も安いことに不満を感じていました。ある時に農家で1週間ホームスティをする、という職員研修の機会がありました。農民の方々の暮らしが、食べることもままならない貧しい状況にあることに初めて知りました。だが、苦しい状況にあるにもかかわらず、農民の方々は自分より楽しそうに暮らしていることを目の当たりにし、カルチャーショックを受けたのでした。以来、農民の方々に対する見方が変わり、アジア学院で有機農業やサーバントリーダーシップを学び、帰って地域に貢献したい、という思いを抱くまでになりました。
学校ではより高い地位や安定した収入を得ることを目標に生徒を教えます。それは人として当たり前のことです。けれども、それらのことが神を愛し、人を愛し、土を愛することに繋がっていなければなりません。この3つの愛と繋がっていないと、ただ高い地位や収入を求めることのみに生きてしまいます。世界のこと、環境のこと、地域のことを考えて、生きていってほしいのです。
農業は安定しない自然を相手にし、経済的側面だけを見れば大変な職業かもしれません。ですが、もしも農民の方々が私達に安全な食べ物をつくることを止めてしまったら、どうでしょうか。お金がいくらあっても、生きるための食べ物は手に入らなくなります。人と土を愛することに直結する仕事は農業です。大都市では自分たちが食べている食べものが誰が育ててどこから来たかも知りませんし、土に触れる機会もありません。若者は都会こそ自己実現の場があると考えて、農村を離れてしまっています。
すべての大人たちは三愛精神を究めるように若者たちを導いていってください。これからの未来をよりよくする可能性を持っているのは彼らなのですから。自分のためだけに生きるのではなく、神と人と土を愛するために、命を使っていってください。
リドワンさんのメッセージは、愛農高校で語られる「農業者である前に人間であれ」という言葉に通じる話だと感じました。
その後、大講堂で学年別のグループに分かれて交流会の時を持ちました。テーマはFOODLIFEとは何か、ということでした。アジア学院の作った造語にFOODLIFEという言葉があります。それはFOOD+LIFEから成り立っており、私達が生きていくうえでの「命」は「食べ物」に依って保たれている。両者は決して切り離せるものではない、ということを意味します。FOODLIFEは私達が米や野菜、動物たちの命をもらう犠牲によって成り立っています。他の命をいただくことでしか、生きられない存在であることを教わります。
ミャンマーからの研修生であるサミュエルさんは、FOODLIFEという考え方に触れるまで、「食べ物を平気で捨ててしまっていた。余ったら豚の餌にしていた。」そうです。アジア学院でこの思想に触れる中で、食べ物に敬意を覚え、その価値を知りました。自分たちが食べる食べ物が自分の身体をつくる。身体を形づくる食べ物は、自分たちが生きることの質を決める要因になります。食べ物を選ぶことは生き方を選ぶことに通じている。人生の価値を決めることに関わる、と知らされました。
なので、農場でより健康で品質の高い食べ物が育てられるように、技術を磨いていくこと。それがアジア学院のメンバーたちの命を支えることに繋がっています。
よりよく土に向き合うことは、よりよく人に向き合うことである、と思わされました。目に見える人を大切にすることは、目に見えない神を大切にすることか、と土から三愛精神は始まるのかと学ばされました。
生徒らがFOODLIFEについて考える話し合いの結果を発表する場面では、今の時代の農業はお金を稼ぐ手段の一つとなっている。根本的に自分たちは食べ物がなければ命がなく、命がなければ食べ物もない。NO FOOD NO LIFEではないか、という報告がなされたりしました。土や作物が何をしてほしいかを聞く「観察」が重要である、ということや、コンビニのご飯はヤバそうだといった声も聞かれました。
「もっと英語勉強していれば良かった~」と悔しそうにしている生徒もいました。アジア学院の方々は、語学力が十分でない私達に対しても、発言した場合はしっかり耳を傾けて表現を変えながらコミュニケーションをしてくれようとしました。アジア・アフリカの方々に出会う貴重な機会をいただいたアジア学院の方々に感謝です。
【松田翼】