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創立記念講演会 「愛農の道ー愚直に生きるー」

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創立記念講演2

12月9日(土)、愛農高校は54年目の創立記念日が持たれました。この日の記念講演は、奥田信夫さん(愛農高校前校長、同校1期生)に「愛農の道―愚直に生きるー」と題してお話しをいただきました。

 

愛農高校で学んで良かったと思うことは3つある。鎌の研ぎ方を知ったこと。ニワトリの解体の仕方を身に付けたこと。コンクリートを練る大工仕事ができるようになったこと。これらのことは大学に入ってから役に立った。寮生活で草の刈りをするときにボロボロの鎌を研ぎ直して庭をきれいにしたり、ニワトリをしめて食堂に提供し、から揚げとして食べた思い出など、他人ができない生活力をもっていることは一目置かれるきっかけになったそうです。そして、愛農高校の寮生活を経て一生ものの友人を得て、今も繋がりがあります。

 

今日、愛農高校が存続しているのは、初代理事長であった近藤正氏の尽力が大きかったそうです。創設者の小谷純一氏でさえ高校の建設に決断しかねていた中で、愛農会の土台を築いた山本哲夫氏の後押しもあり、募金活動が始まりました。卒業生を巡りなどをして、今の価値で1000万円以上献金を集めたのでした。卒業生の中には、100万円、500万円といった多額のお金を愛農高校に毎年託してくださった方もいらっしゃいました。生徒らが食事を食べている大講堂の改修や、同窓会館という保護者や見学者が宿泊できる建物があるのも、卒業生の力に依るものです。多くの人の人生が捧げられて愛農高校があることを再確認させられました。

 

今回の講演題である「愛農の道 愚直に生きる」とは何か。奥田先生のお話しの中に次のような言葉がありました。

「愛農運動とは、農業を愛することと言われます。しかし、農業で愛する道だと思います。」つまり、農業を通して、自分や社会や人を幸せにしていく道を歩んでいくこと。愛農という生き方は、愚直に生きること。真実さ、誠実さ、社会の平和を求めて生きることなのだと。

 

農業を通じて「平和」を求める生き方とは何でしょうか。奥田先生は、日露戦争時に非戦論を訴えた思想家の内村鑑三の言葉を紹介されました。興味深い言葉であるため、以下に引用させていただきます。

 

「世界的平和到来の時には、人は各自小作主となりて、己が手にて作りし物を食い、己が建てし家に安んぜん。(中略)人が人に頼らずして、神に頼る時に彼らは自らから独立になる。天然に接して天然の神に近づかんとする人は都会を離れて田舎に住まんとする。(中略)世界的平和は自作農業の発達を促す。末の日に神の国が地上に建設せらる時には、全国にわたる小作主の自作農業の繁栄を見るだろう。」『イザヤ書の研究』1928年)

 

また、「戦争と平和」「イワンの馬鹿」などを記した文豪のトルストイの言葉が紹介されました。トルストイは50歳を過ぎた頃から人生に悩み、理想とする生き方を求めて莫大な財産と名声を放棄。小作農民と共に生きる中で民話「人は何で生きるか」「人にはたくさんの土地がいるか」などを執筆しました。「農耕が一番罪がない」という言葉を残し、農民との暮らしの中に幸せを見出していったそうです。

 

そのトルストイの絶対平和主義に共鳴して、太平洋戦争中に銃殺覚悟で徴兵拒否をし、郷里で農耕をしながら彼の翻訳をした北御門二郎氏(1913~2004)の生き方を教えてもらいました。一度愛農高校に訪問してくださったことがあるそうです。北御門氏の翻訳は、1979年に日本翻訳文化章を受賞しています。

(北御門氏の著作は、みすず書房に「ある徴兵拒否者の歩み」という本が出版されています。)

https://www.msz.co.jp/news/topics/07483.html

 

当時、愛農高校が建設されても早々に行き詰るだろう、と見られていました。同じ年に建てられた高校があったそうですが、3年で経営が立ち行かなくなったそうです。愛農高校も人間の集まりであり、人の罪や弱さがある。しかし、それを覆う「神の愛」があった。愛農を支え続けてきた職員や卒業生らの働きがあって今日54年間、存続することができています。

 

人間としてどう生きるべきか。農業をしつつ、人としての生き方を求めていく。先人の歩みに倣いつつ、真実さ、誠実さというものを探し、祈り、生きていく。それが愛農高校の根っこなのだと感じさせられる講演会でした。

 

「松田翼」