6月10日(土)、愛農高校では校内意見発表会が持たれました。1年生~3年生までの12名の生徒が全校生徒・保護者の前で自分の思っていることを語ります。テーマは、農業と自分を見つめた話、東日本大震災・福島第一原発事故を経て愛農高校に入学するまでの経緯や、聖書との出会い、農場で日々ニワトリと向き合って食と社会の繋がりを考えた発表など、多彩な話題です。少々、長い文章ですが、生徒たちの声を載せさせていただきますので、お付き合いいただければ幸いです。なお、意見発表の内容は後日可能な限りでホームページでご紹介をさせていただく予定です。
「聖書はインチキというレッテルを貼っていた。しかし、自分は聖書で心を磨いていきたいと思うようになった。」
「(原発事故で)私はふるさとを捨てました。けど、農業っていいな、と思えるようになったのは、二本松は離れてからでした。将来、二本松に帰るかはわからないけど、愛農でこれからの生き方を見つけていきたい。愛農には、二本松にあったものがあると思ったから。」
「いつしか私は農業というのは、汚くてダサいもの、思うようになっていた。実家の農作業を手伝っているところをクラスメイトに見られたくなかった。自分の周囲は、お金の価値で将来を選ぼうとしている人たちだったから。けれども、愛農高校にきて、農家実習に行ってからは、実家の暮らしを見直すようになっていった。」
「僕は仕える農業者になりたい。仕えるとは、何かのために、誰かのために、生きること。農家実習先で野菜を届けるのに、食べてくれる方のために報われることを考えずに働いていらっしゃる方と出会った。」
その他にも食品添加物と無添加食品の味と背景の違いについて。志をもって生きる、という生き方の模索。男子寮の前に植えた「シソ」に関するエピソード、土に触れることで元気を取り戻していった話。豚の死に立ち会うことで、家畜は人間の都合で飼育をしているが、動物に自分が出来る限りのことをしたい、と思うようになった、という言葉。
臥薪嘗胆といった辛い思いを生きるバネにするのではなく、農家が作物の収穫を待ち望むように、自分が受けた恵みや喜びを糧に生きていきたい、という想い。ニワトリを飼い、その一生と関わる中で、「食」とはどうあるべきなのか、食品添加物の実態から考えたことについて。将来、実家に帰って農業をするが、これからどんな農業をしてきたいのか、パーマカルチャーの考え方との出会い。世界の一握りの大富豪が所有している資産は、地球人口の約半分の持っている資産と等しいという格差社会への疑問から、自らのお金に対する向き合い方を模索する意見。産業廃棄物として捨てられている「廃鶏」を鶏肉まんじゅう(通称鶏まん)に加工することで見えてきた、社会が切り捨てている価値あるものをいかに活かすことができるかについて・・・
意見を発表してくれた12名の生徒の言葉には、それまで生きてきた十数年のドラマが詰まっていました。ある保護者の方が意見交換会でコメントしてくれたのですが、「1年生は自分のことを語ってくれました。2年生は農業との出会いについて話してくれました。3年生はこれから出ていく社会の問題と自分を結び付けて考えている様子を知ることができました。」とお話しくださいました。
高校生と身近にいさせてもらう中で、思わされるのは、彼ら彼女らには「夢を見る力」「理想を描く力」がある、ということです。その初々しさに、かつての学生時代を思い出されます。社会に働く中で「理想を裏切らず、現実を生き抜く」ことの難しさを痛感させられています。しかし、生徒たちがこの時代を生きていくうえで、その志を保って社会を生き抜いていけることを、少しでも手伝えるものでありたい。学校現場で働くということの重みを新たにさせられる機会でありました。夜遅くまで発表の練習をし、書き直しを加え続けていた生徒のみなさん。ありがとうございました。
[松田翼]