近藤 倫(53期) 自然の中でいきること

2018年度 意見発表
自然の中でいきること
3年 近藤 倫(53期)


風が好きだ。朝が好きだ。農が好きだ。そして何より、自然が好きだ。
この喜びに気付くことができたのは、私がこの三年間、自然に触れる機会がたくさんあったからだろう。
だが、私は考えた。今、私が感じたような喜びを抱いている人は、どのくらいいるのだろうか、と。実際にはあまりいないだろうと思う。

 

だが、昔、自然の中で暮らしたり、農をすることは、人間にとってあたりまえだったはずだ。なのになぜ人間は、自然や農から離れて行ってしまったのか。
なぜ、自然が生み出す風を感じたり、農に触れる機会が減ってしまったのか・・・。
それは、今と昔では、暮らしの環境が違うからではないかと私は思う。
私に、農や自然が好きだと気付かせてくれたのは、愛農高校に入学して2年生の頃に始まった、「愛農農業」という授業だった。

 

「愛農農業」では、持続可能な社会や、持続可能な自然。持続可能な農業について学ぶことができる。持続可能とは、簡単に説明すると、「その状態が途中で途切れることなくずっと続いていく。」という意味だ。
私はその授業の中でも、自然の中で循環している、生態系や土、植物などの仕組みを知れる授業が好きだった。
ある日、いつものように授業を受けていると、「自然は循環している。」と、頭の中で理解することができた。植物、動物、微生物、土、水、空気・・・。いつもは、それらが循環している図をノートに書き写すだけだったが、その時ばかりは、「それらは全て繋がっているのだ。」という確信めいた感情が、心の中に生まれた。
そして、その自然の循環の中に人間の場所は無く、そもそも、人間が自然の循環を壊しかねないことに気付かされた。あたりまえのことかもしれないが、私にとってその気付きは、大きな発見だった。つまり、魅了されたのだ。循環している自然の大きさに。

 

その瞬間、「私も、循環している自然の中で生きたい。」と、強く思った。
そして同時に、自分が暮らしている世界に数々の違和感を覚えた。
私は愛農に来る前、いわゆる「便利な社会」の中で暮らしていた。
坂などなく、真っ平に敷かれたコンクリートの道。スーパーには、季節を問わず豊富な種類の野菜が置いてあり、山や海が近くにあろうとなかろうと、キノコや魚が必ず並んでいた。そしてお客さんは、陳列棚にずらりと並んだそれらを、あたりまえのように買い物かごに入れていく。季節的に育つはずもない、野菜や魚介類。料理をしようと思ってスーパーに行っても、そろわない食材などまずなかった。今思えばあたりまえの光景ではないが、私はそれらの光景を、あたりまえの光景として受け入れてしまっていたのだ。今でも多くの人がそうだろう。

 

「なぜ冬にキュウリがあって、夏にキャベツがあうのだろう。」
そんなあたりまえの疑問でさえ、当時の私には思い浮かんでこなかった。今改めてスーパーを見てみると、「なんて便利な空間なのだろうか。」と思う。
「ただお腹がすいたから食べる。食べ物があるのはあたりまえ。」数年前の私は、こんなことを思っていた。
愛農高校に入学して初めの頃。私は、食べ物を育ててから自分の食事となるまでの、流れを知った。お米や、野菜を育てる大変さ。ついさっきまで動いて暖かかったものが、手の中で冷たくなっていく感触。湧き出てきたものは、「悲しみ」ではなく、「自分たちの命は、たくさんの命のおかげで続いているのだ。」という思いだった。

 
愛農高校に入学して体験したこれらのことや、愛農農業で学んだ、たくさんの生き物のつながり。それらは、私に、「めぐりめく自然の中で、あなたはどう生きていくのか。と、問いかけているように感じる。
実際に、どう生きようかと考えながら周った農家実習で、自然の中で生きることは、決して簡単ではないことを知った。例えば、自然で暮らそうとすると、ガスはないので、料理をするにもお風呂を沸かすのにも、薪を割って火を付けなければならない。大きい薪を割るのは、大変だった。だが、頑張って割った薪に火が付いた時、私はたとても嬉しかった。そして、楽しかった。
 

そうやって、自然の中で自分がどう生きていくかを考えながら生活していくうちに、私にとってたくさんの喜びが、自然の中にあることに気が付いた。
都市部では吸えなかった、澄んだ空気。ただ眠いとしか思っていなかった、朝が好きになった。あまり触れる機会のなかった土に触れ、農が好きになった。
 

自然の中で生きることで、私は自分に喜びがあふれ、心から楽しいと思うことができている気がする。
私にとってその感情は、愛農高校に来てからのものだったが、人間の歴史を遡ると、自然の中で恵みをいただいて生活することは、“あたりまえ”だった。

 

当時は、電気やガスはもちろん、ひねれば水の出る蛇口もなかっただろう。今の生活と比べれば不便利な生活だ。今、そんな生活をしてみましょうと言っても、やってみようとする人は少ない。むしろ、顔をしかめる人のほうが多いだろう。
だが私は、この進化し続けている便利な社会の中で、その流れに逆らって生きていきたいと思う。できるならば、朝日と共に起き、暗くなったら眠りたい。お金を稼ぐためでなく、生きていくために農がしたい。資源に頼らず、自然の中で暮らしたい。日々移り変わる自然の中で、私もその流れに身を任せ、毎日生きている喜びを感じていたい。

 

今私は、心からそう思う。
だがこの中には、今の社会の中で実行するには難しいものや、なかなか実現しないものもあるだろう。でも私は、焦らずゆっくりと、この夢を叶えていきたいと思う。
いや、叶えられないことはないだろう。
・・・人間の生活は、もともとはそうであったのだから。